今回のコラムは、横浜市の海側南端にある金沢区の団地「金沢シーサイドタウン」のお話。
実はここ、横浜の未来を背負った巨大プロジェクトの一環で整備された場所。高度経済成長期、横浜市は人口増に対して、土地が足りなくなるという大きな問題に直面しました。その時期に計画されたのが、市の基盤を強くするための「六大事業」。今の横浜を象徴する「みなとみらい地区」や港北ニュータウンの造成、ベイブリッジや市営地下鉄など交通インフラに加えて「金沢地先埋立事業」こそが、この街の始まり。この街は、ただの住宅地ではなく海から創り出された「計画都市」なのです。
ほどよい自然との調和
金沢シーサイドタウンがユニークなのは、文字通り「ゼロ」から海を埋め立てて造られたという点。この事業の目的は一つではありませんでした。住むための土地、そして企業を誘致するための工業地、すべてを複合的に一度に確保する、という壮大な目標がありました。東京湾側には工場や研究施設、ここと線を引くようにグリーンベルト(金沢緑地)と首都高速湾岸線、無人運行の新交通システム、「金沢シーサイドライン」が南北に走ります。その西側に広がるのが、金沢シーサイドタウン。元々の海岸線から緩やかにつながる一帯が団地エリアです。
住宅用地は約100万㎡(月並みな比較ですが東京ドーム約21個分)。日本住宅公団(現在のUR)、市営、分譲と約9000戸、さまざまなタイプの住宅が計画的に建てられ、「団地が生み出すまち」の究極の形となっています。そして、街の景観も「埋め立て地」という無機質なイメージはありません。内湾と外湾という元の地形を活かして、団地の建物が海岸線に沿って美しく連なるように配置されています。さらに、車が走る道と、人が歩く道とを完全に分離する緑道や遊歩道が整備されています。これは、住民が安全に移動し、子どもたちが安心して遊び、自然な形でご近所付き合いが生まれるような「歩く人が主役の街」なのです。
団地自体も高層と中低層、メゾネットなど画一的ではなく、それも街のリズムを生み出しています。計画当初から複数の建築家が関わっており、景観デザインと同時に住環境のデザインを重視しているのが特徴。エリア北部にある並木第一小学校は槇文彦氏の設計で、岡本太郎氏の壁画がある幼稚園もあります。かつて、海苔の養殖などで栄えた漁港は、埋立を免れて汽水域の「ふなだまり公園」として憩いの場に。1992年には、「シーサイドタウン」自体が国土交通省の都市景観100選にも選ばれています。かつて4つあった小学校は、統合して3つになりましたが、廃校跡地には、リハビリ専門の病院が開業。かつて校舎内にあったコミュニティハウス(コミハ:地域交流や生涯学習の場)も姿を変えて院内に再整備されています。
そして、公園の名称にもちょっと注目してもらいたいのです。サルダの鼻・イド藻・中藻・のりべか・イガイ根…これ、全て団地エリアの公園の名前なのですが、どれも、かつての地形や漁に関わる言葉。貽貝(イガイ)の岩礁だったから「イガイ根」というように。漁業が盛んだったこの土地の歴史は、そんなところに息づいているのです。
「海と緑の財産」が支える未来
ここまで、エリアの魅力を畳み掛けてきましたが、多くの団地が抱える住民の高齢化という課題は、金沢シーサイドタウンも例外ではありません。しかし、この街は他のニュータウンにはない大きな「財産」を持っています。それは、計画段階から計算された「自然との調和」。埋立地でありながら、海岸線沿いのなぎさの景観や緑地帯がたっぷりと確保されています。実は、徒歩と自転車圏内にアウトレットモールやコストコ、商業施設、工場直売所、レジャー施設(温水プールや八景島、海の公園など)がある「生活至便な街」でもあります。
「海」「計画された緑」「公共交通網」という優位性は、今後の街の再生において大きな力となります。水辺と緑地のポテンシャルを活かしたコミュニティ活性化も、住民が取り組み始めているところ。「計画的に造られた団地街区」は次のステージに。高齢化などの課題を乗り越え、「誰もが憧れる海辺の未来都市」としてさらに進化できる可能性を秘めているのです。
written by ENJOYWORKS TIMES/Tomoko Sato